嗅覚

「面倒くさい」に征服されつつある今日この頃。

何をするにも「面倒くさい」が俺の行動を制限する。

俺はこの性格のせいで飽きっぽくなんでもかんでも中途半端で投げ出してしまうようになってしまった。

思えば高校に行くのが面倒くさくなったのが発端かもしれない。

同級生とは馴染めず、勉強も煩わしく、親ともうまくいかず、色々な要因が重なってそれはそれはそうとうな面倒くささだった。

結局高校は2年でドロップアウトしてしまうんだけど、今思えばこれが全ての始まりだった。

最後まで何かをやり遂げたということが少なく、ある時急激に面倒くさくなってしまう。

それについて非常に危機を感じているんだけど、改善しようにも途方もない面倒くささによってそれは阻まれる。

怠惰の沼にどっぷりと嵌まってしまっている俺は、その内に生きることも面倒くさく感じてしまうような気がして、ときどきえもいわれぬ恐怖に襲われる。

しかしそれを考えるのも段々と面倒くさくなってきて、少しするとどうでもよくなる。

「面倒くさい」と思うことで、自分の心に一種の防衛線を引いているのかもしれない。

ネガティヴに考えすぎる思考に対して、脆すぎるメンタルが防壁を築いているのだ。心が怠惰に逃れて鈍感になろうとしているんだと思う。

この面倒の匂いに敏感な嗅覚は、心に傷を負わせない為に発達したのかもしれない。

しかし、結局それは現実から逃げているだけで、何の解決にもなっていないわけだが、その先のことを今考えるのは、ああ、面倒くさい。