空想と錯覚
元々存在しえない物が、あたかも存在しているように錯覚することがある。
それは、我々が"未知"という最大の恐怖に打ち勝つ為に、名前をつけて既存の物にしなければならないが故に生まれた錯覚だ。
昔の人が天災や自然現象を神格化して崇めることによって"神"や"妖怪"という存在が生まれたように、この世は人間の空想によって創造された"錯覚"で溢れている。
時に、その"錯覚"が独り歩きして、人間の手に負えない物になってしまうことがある。
現代において、インターネットと我々は切っても切れない関係になっている。
人それぞれだろうが、現代人は日常の大半をネットの世界で生きていると言っても過言ではない。
しかし、そのネットの世界は"錯覚"である。
現実に存在しない、触れられない、目に見えない世界が、あたかも存在しているかの様に感じているわけだから。
その錯覚の世界にすがり、破滅する人や、救われる人もいる。
錯覚が現実に干渉しているのだ。
決して交わるはずのない現実と錯覚が混在している特異な世界に我々は生きていることになる。
錯覚が現実に影響を及ぼしたら、それはもう"錯覚"ではなくなってしまうのではないか。
今現在も宗教戦争によって多くの人々が命を落としているが、宗教も元々は人間の空想によって創造された錯覚だ。
神は人間を造ったとされているが、実は人間が神を造ったのだ。
神は人間の"錯覚"から生まれる。
現代の最大の"錯覚"と言えるインターネットは、次世代の神へとなり得るのか。